2009年度 夏山山行第二期

期間 8月20日(木)〜8月24日(月)
対象 権内尾根・朳差岳から飯豊全山縦走
山域 飯豊連峰
メンバー (CL)渡邉、(SL)漆戸、前川、小林、福本、小熊、大竹先生、丸ヘッドコーチ、津田コーチ

【コースタイム】
2009年8月21日 雨 ゲート発(7:20)→林道終点(8:30~8:40)→東俣第2橋(9:20)→15分間休憩→雨量計通過(10:32)→15分間休憩→カモス頭(11:30)→権内ノ峰(12:20)→10分間休憩→隊員が足故障で一時停滞(13:00~13:05)→分隊行動開始→千本峰(13:35)→前朳差岳(15:20)→朳差岳(16:20)→朳差岳テント場(16:30)→朳差岳避難小屋避難(16:30)【天気図隊:前朳差岳(14:33)→小林佑生が天気図作成(15:45〜16:30)→朳差岳(17:15)→朳差岳避難小屋避難(17:30)
2009年8月22日 晴・強風 起床(3:00)→小屋発(5:15)→鉾立峰(5:49)→大石山手前のコル(6:15〜6:25)→大石山(6:52)→頼母木避難小屋(7:35〜7:50)→頼母木山(8:15)→地神北峰(9:00〜9:10)→地神山頂(9:30)→扇ノ地蔵(10:06)→胎内山(10:15)→門内小屋(10:35〜10:50)→門内岳(10:57)→北俣岳(11:57〜12:20)→梅花皮小屋着(12:45)→幕営完了(13:15)2009年8月23日 曇ときどき霧のち晴 起床(2:30)→梅花皮小屋発(4:50)→梅花皮岳(5:26)→烏帽子岳(5:55)→15分間休憩→御手洗ノ池(7:12〜7:25)→天狗ノ庭(8:00)→御西小屋(9:00〜9:24)→大日岳着(10:40)→大日岳付近で休憩(10:50〜11:05)→御西小屋(12:15〜12:45)→御西岳(12:55)→玄山道分岐(13:27〜13:40)→駒形山(14:00)→飯豊本山(14:25〜14:40)→飯豊本山小屋着(15:05)
2009年8月24日 晴 起床(2:30)→V8テント撤収(5:00〜5:15)→好天候を待ち出発(5:35)→1882m地点手前のコル(6:27〜6:40)→草履塚(7:00)→切合小屋(7:30〜7:56)→種蒔山(8:19)→三国小屋(9:35〜9:55)→剣ヶ峰(10:27)→地蔵山手前のコル(11:00〜11:10)→地蔵山への道と巻道との分岐(11:26)→水場(11:40〜11:45)→本道と巻道の合流分岐地点(11:56)→横峰小屋跡(12:07)→笹平(12:25〜12:40)→上十五里(12:55)→中十五里(13:15)→下十五里(13:32〜13:45)→飯豊山登山口(14:14)→御沢キャンプ場にて下山(14:24)
【紀行・感想】
今年度リーダー会と2人の高校コーチで一緒に登る最後の山行だけあって対象決めにはいつもより時間をじっくりかけた。そうして最終決定されたのがこの飯豊連峰全山縦走である。そして、さっそく入山初日から悪天候が襲いかかる。
21日、僕が9人乗車を伝えて予約したジャンボタクシーの客席数が8席で、なぜかCLが最後に詰め込む形で坂町駅を出た。タクシー会社の話によると林道終点まで言ってくれるとのことだったのだが、東俣彫刻公園の先にあるゲートを開けず林道終点まで70分かけて歩く羽目になった。幸い、少し起伏があるだけの砂利道だったので問題はなかった。ここからはひたすらエブリ差小屋を目指して歩く。標高差は約1400m。初日からボリューム感のある行程だった。途中、K君がふくらはぎの下部を痛めK君にヘッドコーチがついて分隊することになった。天候はさらに悪化していき、エブリ差小屋の横で幕営しようとしていた頃には大雨に猛烈な風が加わって、テントをまともに張れなかったためその日は小屋泊になった。その時は雨で体中が痛くて立っていることさえも難しかった。またポーチの中の計画書が雨でびしょびしょになり、判読不可能になってしまった。
22日朝、小屋から出るときれいに朝日が見え、風はわずかに弱まっていた。降雨がないだけでこんなにも楽になるとは! だがこの日は、雨は降らなかったものの前日の猛烈な風は健在だった。安全歩行のため、コーチが先頭に入りCLは1年生の後ろに入った。最も風が強いと感じたのは地神北峰の登りである。ピッケルでがっちりと体を支えておかないと、よろけてしまう有様だった。途中先生に助けてもらったこともあった。梅花皮小屋に12:45頃に着き、CLが先には進まないと判断したためここで幕営となった。CLの判断に僕も納得したが、なんとなく物足りなさが残った。幕営後水汲みで水場に行ったが、飯豊連峰の中では最も水の勢いが良かった。だがF君が言うには微妙に濁っていたらしい。見ると汲んでやった彼のペットボトルは確かに濁っていた。
23日、前日に僕が「明日は曇だ」と予報したのが午前中までは当たっていた。雲の量が前日より多く、霧も発生していた。出発から約4時間後、御西小屋に着くと後からも10人以上のパーティがやってきた。彼らは我々が大日岳アタック準備をしているうちにさっさと大日岳へ行ってしまった。だが途中で彼らを抜き、急登を越えた大日岳山頂でまたでくわした。再び御西小屋に戻ってくる頃にはもう気にしていなかったため、その後どうなったのかはわからない。ところでその頃の天候はすでに雲がほとんど消滅しこの上ない最高の登山日和だった。飯豊本山小屋までの道程で、山岳部入部以来初めて、長い晴れ間のもと夏山登山ができた。小屋の少し先で幕営し、この日も水汲みに駆り出された。先に一人で見に行ったF君に案内されて水場へ行くと、水の勢いがひどく弱いことがわかった。2つあるうちの一方は許容限度ぎりぎりだったが、もう一方はちょろちょろでときどき水が止まることもあったらしい。だがそこから見える景色はそれまでに行った水場の中で最もきれいだった。そのとき初めて水汲みに来た甲斐があったと感じた。その日の夜もここへ来たが、山岳地帯の奥に見える市街地の町灯かりが何ともいえなかった。テントに戻り食当K君の素晴らしい大喜劇を見せていただいた後、皆は眠りについた。
24日は下山の日。2:30起床だったのだが起床係の僕は2:30になっても一瞬放心状態だったため、危うく寝坊するところだった。すぐに外を見ると天気は雨。またしても初日に戻るのかと思っていたが、食事をとり終わって片づけをしている間に雨はあがっていた。そしてさらなる好天候を待って約1時間遅れで出発した。途中岩陵や鎖場などでは時間をかけた。僕は特に昨年滑落者がでた三国小屋の先の岩陵で緊張した。ベテランが滑落したからではなく、本当に岩陵を見るだけで緊張するのである。ここがもし早朝の雨の影響がまだ残っていて濡れていたりしたら、もっと時間がかかっていたかもしれない、そんなところだった。その後転倒のラッシュがあり、帽子をかぶって日射病を避け集中力を取り戻した。コースタイムでは御沢キャンプ場で下山となっているが、タクシーを呼ぶ携帯電話に電波が入らなかったためその先の川入までさらに40分かけて歩いた。喜多方駅付近の銭湯までタクシーで行き、そのあと解散になった。

帰る電車の中、対象決めにじっくり時間をかけた甲斐があったなと感じた。お世話になったCL、SL、先生、コーチ方に感謝したい。 

(2年:前川 耀平記)

【感想】
渡辺チーフリーダー率いるリーダー会最後の山行は、またしても夏山にはまれな発達した低気圧の歓迎を受けた。しかし、飯豊は、北・南のアルプスと違い、高校の現リーダ会として思い言い切り歩ける、山に浸れる、すばらしい対象であった。八ヶ岳や奥秩父にはない、アブに追われての林道歩き、行けども行けども登山者の気配のないアプローチ、自然にはぐくまれた動植物、懐の深い渓谷、と、東北の山でなければ味わえない新鮮さが残されていた。
所感でも述べたように、2年生の多い現在のルームが、自分たちの総合的実力と、現在のリーダー会の実力を推し量った場合、少しでも未知の世界への挑戦が大切であった。そういう意味では、多くのガイドブックに書きつくされた夏の西鎌尾根を歩くよりは、大きな収穫であった。ひとつ残念な点をあげれば、整備されつくした夏道と、完備しすぎた避難小屋である。最近あまりに遭難の多い山域だけに、環境省も手を入れたのであろう。
ここで、一日目の避難小屋使用について、一言反省を述べたい。ルームに山登りは、「自力下山」という大原則がある。いかなる自然環境が押し迫ろうと、下界でそれを予測し、それ超えれるか否かを自分たちで協議し、実力とお互いの自信を信頼しあってから、山に入る、という登り方である。風雨が強くてテントが建たない。たまたまそこに誰かが準備した避難小屋があったので使ってしまおう。その場でのその判断は正しい。あの場で避難小屋に入っていなければ、小林は低体温症を起こし、今は天国だったかも知れない。しかし、渡辺はこの状況を下界で予測していたのであろうか。8月の飯豊の風雨を想定してV8のテントのポールの強度、テントの構造を真剣にリーダー会で話し合ったのであろうか。もう一度、6人でよく話し合ってほしい。車があるから使う、携帯電話があるから使う、アメダスで雲域が見れるから天気図はとらない、ワンセグで天気予報を確認しよう、メンバーが多いので燃料、食糧は、大雑把に多めに持っていこう。使えるファシリティを何でも当たり前と思って、安易に山に入ることは、今後君たちの山登りのより高き、より困難を目指す道においては、大きな障害となるであろう。ここでは携帯が使用できるのか否か、携帯を活用するか否か、ここで使う燃料は何リットル、砂糖は何グラム、ここは強風地域だから、避難小屋使用を想定するか否か、どの状況下であれば使用するのか、山の計画を考える上では、チーフリーダーが下界で考えることは極めて多い、と言うことをここであえて申し渡したい。北極南極犬ぞり横断で有名な植村直己は、常に帰りの飛行機代を持たずに5大陸最高峰を制覇していた。昼食はフランスパンと自分で作った燻製、佃煮のみで登っている。単独山行の極限的な計画である。あの登り方を100%踏襲しろとは言わないが、次期チーフリーダーを目指す者は、彼の思想を今こそ大いに学んでみてはどうであろう。そして、95年前に鹿子木教授が唱えた「重装主義」をもう一度念頭において、萎縮することなく9月の山に臨んでほしい。
(HC:丸 誠一郎)